The scene

パクセー便り#9
「ラオス国母子保健統合サービス強化プロジェクト」
へ派遣中の建野技術顧問からのお便り

 

パクセーはラオスで2番目に大きな街で、チャンパサック県の県庁所在地。
プロジェクトの事務所は同県保健局・母子保健課内に置かれています。

ラオスにて開発援助協力を考える



ラオスの田舎町パクセーでプロジェクト活動に直接従事し、1年が経たんとしています。ラオスは、東南アジアでは数少なくなった最貧国の一つであり、さまざまな援助や経済協力が国際機関を中心に盛んに行われています。過去1年間、協力援助の現場で、実際に携わったり見聞きしたりした経験からラオスに対する協力を見つめてみたいと思います。

ウィリアム・イースタリー(William Easterly)は、彼の著書「傲慢な援助」の中で、「いま、世界には二種類の貧困の悲劇がある。『金がない』という悲劇(第一)と『金が本当に必要とするところに届かない』という悲劇(第二)である」と述べ、戦後70年の間に実施された膨大な援助は、これらの悲劇の解決には役立たなかったと主張しています。特に、「第二の悲劇」、お金はあるのに、本当に必要としている貧しい子どもたちにそれが届かない現状に関し、その原因、理由を解説しています。イースタリーは、援助者を「プラナー」と「サーチャー」に大別し、「プラナー」が計画し、実施した協力の大半は、第二の悲劇の解決には役立ってこなかったと、さまざまな例を挙げて過去の途上国に対する先進国の開発援助協力に対する評価を行っています。彼は、「プラナー(Planner)」と「サーチャー(Searcher)」を次のように説明しています。

――「プラナー」は自分で答えが 分かっていると思い込んでいて、貧困問題も技術的な問題で、自分が思っている解答にしたがって行動すれば解決できると考えている。これに対比して、「サーチャー」は、事前には貧困問題解決の答えは解らないと認めていて、政治的、社会的、歴史的、制度的、さらには技術的に複雑に絡み合った問題だと考えている。「サーチャー」は試行錯誤を繰り返して個々の問題に対する解決策を探ろうとする。これに対して、「プラナー」は、たとえ問題の国にいなくても答えは分かっているとばかりに解決策を押し付ける。「サーチャー」は、問題を抱えるその国の当事者こそが問題解決のための知識を持っていて、大部分の解決策はその国で志向されるべきだと考えている。(「傲慢な援助」、東洋経済新報社、9ページより抜粋)

ラオスで実践されている(されてきた)多くの開発援助プロジェクトは、援助側が自分たちの開発理念を実践するために開発の遅れた貧しいラオスの地をモデルとし行っている活動もありますが、大半は中央の政策を支援する形で実施されています。中央の開発政策をサポートすることは正しいのですが、問題は中央の政策が如何にして作られたか、援助を必要とする現場のニーズがどのように取り入れられて作られたかということだと思います。イースタリーのいう「プラナー」的発想で決められ、押し付けられた政策ではないかということです。現場で一緒に活動を行っていると、現場の人たちの「オーナーシップ」の少なさに驚くことがあります。「上からの指示だからやっている」「保健省の計画(すでに標準化されたり、パッケージ化されているもの)でやっている」ということを強く感じることが多々あります。上からの政策に、現場の意向、計画、希望がどれだけ反映しているのか疑問を感じます。「プランナー」的政策の一例ではないかと思うことしきりです。これでは、イースタリーのいう「お金はあるのに、本当に必要としている人のところに届かないという第二の悲劇」になっているのではないでしょうか。


イースタリーは、「問題を抱えるその国の当事者こそが問題解決のための知識をもっている」と述べており、私も全く同感ですが、中央が、「プラナー」的アプローチで政策を決めていることに危惧を感じています。中央には、多くの開発パートナーが入っており、国際機関が決めた「援助の潮流」に基づいて政策を作成し、実践に移しているというのが現実ではないでしょうか。中央の人の多くは、ラオス国の当事者であることには間違いはありませんが、イースタリーのいう「サーチャー」的アプローチを実践しているとは思えません。それに、彼らは、「援助の潮流」に従わないと、ドナーからの予算をもらえないという決定的弱みもあります。


最近目にした記事ですが、「サーチャー」的アプローチの一例ですし、私が普段から主張している「カウンターパートと一緒に考える」、「住民と同じ目線で」と通じるものがありますので、少々長くなりますが紹介します。「日経ビジネスオンライン」の「日本の食の未来 第3回 アフリカの『緑の革命』に本当に必要なもの」(2014年7月9日)からの抜粋です。
―― 間違った栽培法に気づき、正してあげるためには、私たちは実践のもとで最適な栽培法を研究し、彼らと一緒に汗を流して教えなければならない。アフリカに必要なのは現場で指揮を執れる人間なのです。

栽培法を教えたら、あとは農家の選択次第なんです。我々はいくつかのオプションを用意してあげるだけで強制してはいけない。それが自立を促すんです。だから、私はできるだけたくさんの農家にネリカ(i) を知ってほしいと思って活動しています。そうすることで選択肢が増えて飢饉にも陥りにくく、安定した食料が得られるようになるはずですから(坪井達史)。

現場の人の意見を、現場の真のニーズを中央の政策に反映するにはどうすればいいのか、現場の「サーチャー」の声を政策の中に取り入れるようにするにはどうすればいいのか、ひいては中央の人間の行動変容(behavior change)を期待するにはどうすればいいのか、私の大きな課題になっています。

(i)病気・乾燥に強いアフリカ稲と高収量のアジア稲を交雑したアフリカ陸稲の「新しい有望品種」。日本・国連開発計画(United Nations Development Program: UNDP)等の支援の下、西アフリカ稲開発協会(West Africa Rice Development Association: WARDA。加盟17カ国、本部コートジボアール)により開発された。日本政府とUNDPは、日本政府の拠出による「人造り基金」を通じて97年よりこの共同開発を支援している。JICAは専門家を派遣しており、JICAコメ振興プロジェクト専門家・坪井達史さんは「ミスター・ネリカ米」として有名で、ネリカ米の普及に貢献しています。



(建野/㈱ティーエーネットワーキング)
2014.8.31