TAに入る前・入ってからの経歴

高校時代バスケット部にいて、サッカー部の連中に比べ度量が小さく感じ、これは屋内と屋外スポーツの違いからくるのではないかと考え、よしそれならと言う訳で、大学ではヨット部に入ろうと決めていました。ヨットで度量が養われた(?)せいか、将来は外国に行くことを決めていました。水産研究所勤務後、協力隊員としてエチオピアに行き、水を得た魚となり、4年余りの間、多くを学びながら途上国の現状を知り、ODAで生きる決心をしました。帰国後、同志と会社を設立。専門性とODAの技量向上を計っている間にJICA専門家の声がかかり、夢中で仕事をしました。エチオピアを訪れた国連食糧農業機関の専門家のすごさに触れ、「いつかは自分も」 という夢も叶い、同機関でCTAを11年間勤めました。TA谷保社長とは2003年に発足したNPO JICA専門家帰国連絡会かながわ( JECKA)で知り合い、これまで喧々諤々で議論してきました。

得意分野と実績

水産増養殖開発が専門ですが、沖縄の開発の歴史と教訓を基盤にして沿岸資源の保全管理の視点からコミュニティ支援を行なっています。ODAでやらない地場産業の育成をやろうと新しい会社も興しました。

インドネシアで浅海養殖研究開発プロジェクトに関わっていた時代に、新卒のカウンターパートには養殖従事者としての心得を厳しく躾けたことがありましたがその彼が現在国家養殖総局長に就任しています。彼は小生のことを先生と呼ぶが歯がゆい限りです。その後、フィジーで4年間の草の根技プロのマネジャーをしました。エチオピアでのカウンターパートとの付き合も続いています。現在は小生が彼らのカウンターパートとなっています。

人生・仕事のモットーや哲学

ODAのプロとは何か、を常に考えています。プロとしての一つの在り方は、現場に入って直ちに業務の段取りを立てられることだと考えています。ODA従事者の役割はその国や地域の発展に貢献することであり、責任は重いと考え、現場では横の連携を構築し、相乗効果をあげることに努めている。若い人に一言。――現場を見守りながら、国全体を見、近隣諸国と比較し、そして世界を見通して仕事をしていけば将来確実にプロに近づける。For people, for nation and for myself をモットーにしています。人生生きてる限り青春です。

趣 味

青年時代はさまざまなスポーツを楽しんでいましたが、ODAの仕事を始めてからは、各国のローカル食と酒をたしなみながらの地元の人との会話が楽しみです。サックスも始め、ルーレットの掛け方も研究しています。現在、実益を兼ねて海釣りをやっていますが、トローリング技術はセミプロと自負しており、ODAで食えなくなったらチャーターボートのキャプテンでもやろうかと思っています。

好きな食べ物

何でも食べ、何でも飲む。クリスピーのピザが好き。色々なチーズ、タイ料理、カレー料理もよく食べる。

スタッフ